真言宗智山派の総本山
【沿革】智積院は足利時代の中頃、興教大師ゆかりの根来山内の寺院の一つとして、長盛法印により創建された寺院である。慶長(けいちょう)6 年(1601)、徳川家康により現在の京都東山に寺院を寄進され、五百佛山根来寺智積院(いおぶさんねごろじちしゃくいん)を再興した。【智積院墓地】東山山麓にあり京都市内を一望できる眺めが良く、明るい墓地。広大な敷地はバリアフリーの設計に基づき、誰でもお参りしやすいよう工夫されている。また、東大路通りに面したわかりやすい入り口や広大な駐車場も魅力。その他、交通機関の利便性も大変便利。【智積院】明治33 年(1900)、真言宗智山派の総本山となった。山号を五百佛山(いおぶさん)寺号を根来寺(ねごろじ)という。弘法大師の教えは高野山から興教大師の根来山に、そして智積院へと脈々と伝えられ、現在、智積院は全国3000 の末寺を擁する真言宗智山派の総本山であり、檀信徒の総菩提所、総祈願所となっている。大書院障壁画25面、松に草花図屏風、金剛経(国宝)絹本著色童子経曼荼羅図、絹本著色孔雀明王(重要文化財)庭園(名勝)等の文化財が祀られている。