福岡市博多区の寺院墓地
福岡市博多区吉塚に位置する曹洞宗寺院墓地。
規格墓地、自由墓地がある。
【明光寺由来】
明光寺は江戸時代初期のころ、徳川家康の姪で黒田長政候の夫人である「大涼院殿」の篤い帰依を受けた生雄宗誕(しょうゆうしゅうたん)和尚にり再興された。
生雄宗誕は、黒田家をはじめ諸檀越の寄進を受けて寛永5年(1628)三月に本堂を建立し中興と仰がれている。
その後、現在の横浜市鶴見の大本山総持寺の前身である能登総持寺の住職を六人送り出し、また黒田藩の触頭をも務め筑前最高の寺格を誇っていた。
明治末期に福岡市区改正道路が寺域を貫通することになり移転を余儀なくされ、寺は従前の博多上東町十六番地から東堅粕(現在の吉塚三丁目)へと移され、大正四年(1915)に移転を完了し現在に至る。