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眼病守護及び学業成就の行学院日朝(ぎょうがくいん にっちょう)上人の誕生霊蹟寺院である。
応永29年(1422年、宗祖御入滅後141年目に当たる)1月5日、日朝上人は、当時、関東真言関東触頭(ふれがしら)円応法主朝善(ちょうぜん)を御父、妙秀(みょうしゅう)を御母として伊豆の国宇佐美に誕生した。
のち、三島本覚寺の開山一乗院日出(にっしゅつ)という行学一世に秀でた上人に見出され、数え八歳で出家してお弟子となり、鏡澄(きょうちょう)という字(あざな:通称)と行学院日朝という法名をいただき、お師匠さまのもとで厳しい修行と学問の二道に研鑚した。
大上人(日朝さま)は数え四十一歳のとき、身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)の第十一世の貫首になり、10年の歳月をかけて七堂伽藍を整備し、身延山を法華経の道場として復興・発展させた。 また新たに法要儀式の作法の制定、立正会やお会式名をいとなみ、三日講問答とよぶ教育の場をもうけて学徒を養成する教育に尽くし、さらに行学院と称する学室をもうけて御書見聞の解説と講義や補施集、元祖化導記などを著して宗祖への報恩の誠を捧げた。 ここから、学業成就の日朝さまといわれるようになった。
日朝さまは、御生涯を身延山の行事、学徒の教育、門下の融和、法華経弘通や著述に尽くし、昼夜絶え間なくご精進のため、眼病に悩まされ危うく失明となった。しかし、法華経法師功徳品に説かれた功徳を身と心にいただき、信心の功徳、勉学に励んで学業が成就する功徳、仏心を備える功徳を積んで清浄の肉眼と心眼を開いたので、ついに"眼病守護の日朝さま"と崇められるようになった。
日朝さまは、ご両親の三十三回忌菩提のために身延山より自ら当地を訪れた折、父母の御名をいただいて日蓮宗"妙秀山 朝善寺"と改宗した。
かくして当山は、開山行学院日朝上人以来、宗門が目指す環境、平和、いのち、さらにそれらに深く関わる豊かさ、充足や幸福のありよう等について行学の二道を通して研鑚する使命をもつ。
朝善寺の地図、最寄り駅や交通アクセス、霊園の施設に関する情報をご案内します。
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