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西光寺は永正三(一五〇六)年、玄智によって現在の湯来町大野地区に開山されま した。山号(さんごう)の「永正山」は、この開基の年に由来するものです。この大野地区には古くより、「天海と申す禅僧、草庵を建立して、御本尊明見菩薩を 安置し、老幼男女を化導し、代を過して七百年の後真宗に帰依し、寺号を西光寺と改 称せり」との伝説があり、それによると当山の歴史そのものは遠く千二百年前にまで遡ることになります。玄知が開基した当時は、本願寺第八代宗主蓮如上人のご教化により、他宗から浄土真宗へ改宗する寺院や僧侶が増化した時代です。ここ安芸国は全国的にも真宗寺院が 多く、昔から「安芸門徒」と呼ばれるほど篤信な信者の多い土地でもあります。そのような風土の中、江戸時代に安芸国からは「芸轍(げいてつ)」と呼ばれる学僧が多 く輩出されました。
この芸轍の名を世に知らしめたのは、享和・文化年間に本願寺にて発生した宗意安 心の大問題「三業(さんごう)惑乱」にて、芸轍の祖である慧雲(えうん)門下の大 瀛(だいえい)をはじめとする学僧が活躍したことによります。幕府をも巻き込んだ 宗門史上最大の騒乱を決着させるために、京都の二条奉行所や江戸の寺社奉行へ赴く 大瀛に向けて、西光寺第九世住職南洞をはじめとする学友が奔走し、資金を集めて支 援したと伝えられています。現在西光寺には、師匠の慧雲、また南洞の兄弟弟子であ る大瀛・僧叡(そうえい)・海蔵(かいぞう)の四人が、南洞とともに当山で遊行し た際に詠われた七律の漢詩の書が残されています。
その後時代は移り、大正五(一九一六)年、当山は大野地区より現在地へ移転され、 現在まで法灯が受け継がれるに至りました。平成十八(二〇〇六)年には開基五百年 を迎え、それを機に寺院施設の大改修を行い、新たな時代を見据えた寺院スタイルの 構築を進めるとともに、念仏の声を広めるべく活動を続けております。
(HPより)
西光寺 (白蓮華堂(個別納骨))の地図、最寄り駅や交通アクセス、霊園の施設に関する情報をご案内します。
JR山陽本線(三原~岩国) 廿日市駅
広電2号線(宮島線) 楽々園駅
広電2号線(宮島線) 山陽女学園前駅