御寺「泉涌寺」- 皇室からも篤く信仰された真言宗泉涌寺派総本山

御寺・泉涌寺 仏殿と舎利殿
御寺・泉涌寺 仏殿と舎利殿 - by photolibrary

京都市東山区にある真言宗泉涌寺派の総本山「泉涌寺(せんにゅうじ)」

古くから天皇家とのかかわりが深く「御寺(みてら)」とも呼ばれています。ここでは、泉涌寺の歴史や文化財などの見どころをご紹介します。また、泉涌寺のお墓情報もありますので、納骨をお考えの方はぜひご覧ください。

泉涌寺のはじまりと寺号の由来

真言宗泉涌寺派総本山「泉涌寺」、山号は東山(とうざん)または泉山(せんざん)といい、本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏となっています。

泉涌寺のはじまりについては、平安時代の855年に左大臣・藤原緒嗣が自らの山荘を寺としたという説や、空海がここに庵を結んで荒廃したものを藤原緒嗣が復興したという説があります。しかし詳しい時期や事情については定かではなく、平安時代初期に草創された前身寺院が平安時代後期には荒廃していたのを、鎌倉時代に再興したもの、と伝承されています。

泉涌寺という寺号の由来は、鎌倉時代、泉涌寺の開山とされる「月輪大師 俊芿(がちりんだいし しゅんじょう)」が、鎌倉幕府の有力武将であった宇都宮信房からこの地を寄進され、宋の法式を取り入れた大伽藍を造営したときに、敷地内の一画から清水が湧き出たことにより「泉涌寺」としました。この泉は、今日も枯れることなく湧き出ているそうです。

開山「月輪大師 俊芿」とは

月輪大師 俊芿は、肥後国(現在の熊本県)に生まれました。18歳の時に仏門に帰依し、中国の宋で12年間もの長きにわたり修業をしました。そして宋からの帰国後、泉涌寺を天台宗・真言宗・禅宗・浄土宗という異なる4つの宗派の兼学道場とし、北京律の祖と仰がれました。
後鳥羽上皇や後高倉院をはじめとする公家の人々や、北条政子や鎌倉幕府第3代執権・北条泰時も、俊芿について受戒したと伝えられています。

皇室の香華院「御寺」

貞応3年(1224年)、泉涌寺は後堀河天皇により皇室の祈願寺と定められ、仁治3年(1242年)正月には四条天皇の葬儀が執り行われました。こうした関係から後堀河天皇と四条天皇の陵墓は泉涌寺内に築かれました。
その後、南北朝時代から安土桃山時代までの歴代天皇の葬儀はすべて泉涌寺で行われました。さらに江戸時代に入ってから皇室との関係はより密接となり、後水尾天皇から幕末の孝明天皇に至るまで江戸時代の歴代天皇・皇后の葬儀を一貫して執り行ったほか、その陵墓もすべて泉涌寺の境内にある「月輪陵(つきのわのみささぎ)」「後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)」「後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ)」として築かれて祀られています。

これらの皇室の陵墓に対して香をたき、花を供える香華院(仏前に香や花を供える役割を担う寺院)となったことが、泉涌寺が「御寺」と尊称される由縁です。しかし明治時代に入ってからは神仏分離の流れの中で陵墓を国家に没収され、天皇・皇后の葬儀も行うことはなくなりました。

泉涌寺の見どころ

泉涌寺の境内にはたくさんの重要文化財があり、見どころの多い寺院となっています。以下では代表的なものを紹介します。

大門【重要文化財】

東大路通から表玄関に当たる総門をくぐると、参道の両側には即成院、法音院、戒光寺などの山内寺院(塔頭)があります。そして参道を歩いていくと、泉涌寺の「大門(東山門)」があります。
泉涌寺の大門は、もともと京都御所の内裏の門を移築したもので、国の重要文化財に指定されています。慶長年間(江戸時代初頭)に作られたと言われています。

御寺・泉涌寺 大門 – by photolibrary

なお、大門から先は拝観料がかかります。大門をくぐると緩い下り坂があり、伽藍の中心をなす「仏殿」「舎利殿」が建ち、その背後に「霊明殿」「御座所」など皇室ゆかりの建築が並んでいます。

楊貴妃観音像【重要文化財】

総門をくぐってしばらく参道を進み、重要文化財の「大門」を入った左手に「楊貴妃観音堂」があります。

堂内中央に安置される聖観音像は鎌倉時代に中国・宋から渡来したものですが、その美しさから、玄宗皇帝が亡き楊貴妃を想って造ったとの伝承を生み、江戸時代初期からは「楊貴妃観音」と呼ばれるようになりました。この楊貴妃観音像は、重要文化財に指定されています。

仏殿【重要文化財】

創建時の伽藍は応仁の乱で焼失してしまったため、現在の建物はすべてそれ以降に建立されたものです。仏殿は江戸時代に第4代将軍・徳川家綱によって再建され、現在では重要文化財に指定されています。

御寺・泉涌寺 仏殿

御寺・泉涌寺 仏殿 – by photolibrary

仏殿の内部には運慶作と伝わる「三世三尊仏」が安置されています。三世三尊仏は、左に位置する「阿弥陀如来」が現在の、中央の「釈迦如来」が過去の、右の「弥勒如来」が未来の、それぞれ守護尊として三世にわたって人類の平和と幸福を祈念しています。

三尊仏の背壁には飛天、鏡天井には雲龍、裏堂壁には白衣観音が描かれていますが、いずれも狩野探幽の筆によるものです。

日本最大の涅槃図

お釈迦様の命日である「涅槃会(ねはんえ)」には、多くの寺院で釈迦入滅の様子を描いた涅槃図が掲げられます。泉涌寺でも毎年3月のこの時期には、仏殿に極彩色の涅槃図を掲げます。その大きさは日本最大で、縦16メートル、横8メートルにもなります。あまりに大きいため、天井から床にかけて、コの字に配されます。

舎利殿

舎利殿とは、お釈迦様の歯(仏牙舎利)を安置する建物です。仏牙舎利は開山・月輪大師俊芿の弟子・湛海律師が宋より持ち帰ったものとされています。
同時期に宋より渡来した「韋駄天(いだてん)像」「月蓋長者(がっかいちょうじゃ)像」とともに安置され、通常は辰年にのみ特別公開されます。この韋駄天像、月蓋長者像はともに国の重要文化財です。

泉涌寺の山内寺院(塔頭)

泉涌寺の山内にある「今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)」は西国三十三所観音霊場巡りの第15番札所であるため、訪れる人の多い塔頭です。
また、木造阿弥陀如来坐像や二十五菩薩坐像を有する「即成院(そくじょういん)」、高さ10メートルの木造阿弥陀如来立像を安置する「戒光寺」も泉涌寺の塔頭であり、見どころです。

毎年1月の成人の日には、泉涌寺の各塔頭を巡る「泉山七福神巡り」という行事が行われます。

別格本山 雲龍院(泉涌寺別院)

雲龍院は、泉涌寺の別院として皇室とのかかわりがとても深い寺院です。その縁の深さから、他の塔頭と同じく泉涌寺山内にありながら別格本山という高い寺格が与えられています。なお「泉山七福神巡り」では五番として大黒天を奉祀しています。

本堂の「龍華殿」が重要文化財となっているほか、鎌倉時代作の「薬師三尊像(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)」や、室町時代作「大黒天立像(走り大黒天)」は文化財として大切にされています。
また、雲龍院は写経道場としても広く信仰を集めています。

泉涌寺へのアクセス・拝観時間・拝観料など

JR・近鉄「京都駅」、京阪「七条駅」、阪急「河原町駅」より市バス207・208にて泉涌寺道下車、徒歩約15分です。東福寺からも近く、特に紅葉の季節には散策を兼ねて両寺を訪れる観光客が多く見られます。

拝観時間は時期ごとに異なり、3月~11月は9時~16時30分(閉門17時)、12月~2月は9時~16時(閉門16時30分)となっています。
拝観料は大人500円、小学生以下300円、御座所等特別拝観300円となっています。

「七福神京織り額縁」など各種お守りのほか、3種類の御朱印(霊明殿、京都十三仏、観音堂の楊貴妃観音)を御朱印帳に受けられます。

《墓所案内》雲龍院「龍華堂」永代供養付室内墓苑

御寺・泉涌寺の別院であり、真言宗泉涌寺派別格本山「雲龍院」にある室内墓苑です。コンピュータ制御されている可動式収納型のお墓を関西圏では初めて設置しました。室内である上、カードをパネルにかざすだけで墓碑が出てくるので、足が不自由でも楽にお参りができます。
永代供養付き永代使用料は98万円で、特別永代供養付きの永代使用料は138万円、年間管理費はともに13,000円です。

皇室にも信仰された格式高い泉涌寺の別院で、永代供養もついていて安心のお墓です。購入をご検討の方はぜひご相談ください。

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