エメラルド仏のために建立 – ワット・ホー・プラケオ(ラオス)【アジアの聖地から】

ワット・ホー・プラケオ本堂
ワット・ホー・プラケオ本堂

エメラルド仏はタイに略奪され、今はかつての栄華が寂しく残るお寺。
そこでは3人の子供のため、休みなしに働くお父さんからお話を聞きました。

 

諸国を転々と移動するエメラルド仏

前回ご紹介したワット・シーサケットの目の前に、「ワット・ホー・プラケオ」があります。ここにはかつてラオスの国宝だった「エメラルド仏」が祀られていました。

エメラルド仏は紀元前に古代インドのマガダ国で誕生しました。しかしその後の内戦から守るため、スリランカに運ばれ、更に現在のカンボジア、タイのアユタヤなど、諸国を転々と移動しました。
そしてラオスの前身であるラーンサーン国王によって、1565年に首都ビエンチャンに移ることを機に、ワット・ホー・プラケオは建立されたのです。ところが、その後約200年もの間ラオスの信仰の象徴であったエメラルド仏は、1779年にシャム王国(現タイ)との戦争によって略奪され、現在はタイのワット・プラケオに祀られているのです。

エメラルド仏(イメージ)

エメラルド仏(イメージ)

 

常に世界中の観光客で賑わうタイのワット・プラケオはタイを代表する王宮寺院です。ところが元々エメラルド仏があった、こちらのワット・ホー・プラケオはひっそりとしていて、私が訪問した時は他の観光客が誰一人いないほどでした。更には戦争によって崩壊された仏像の残骸は、本堂の裏側に無造作に積まれていて、タイとの対照的な姿に何とも寂しさを感じました。

本堂の裏に積まれる崩壊された石仏

本堂の裏に積まれる崩壊された石仏

 

謎の多い美術品や骨董品の数々

現在のワット・ホー・プラケオは博物館ともなっていることから、ラオス各地から持ってきた美術品や骨董品もあり、それらは謎の多い興味深いものばかりでした。

両手でも抱えきれないほど大きな石壺は、ラオス北部のジャール平原から持って来たものです。この壺はお墓である説や、巨人がお酒を醸造ために使ったなどという言い伝えもあり、真意は謎とされています。私は餅つきの臼に見えましたが、はるか昔の一世紀に作られたこの壺を何に使っていたのか想像するのも楽しいです。

墓か酒作りの道具か、謎の石壺

墓か酒作りの道具か、謎の石壺

 

大木の彫刻にはたくさんの象、そして蛇、うさぎ、木々、子供の姿もあります。古代の恐竜の横には、何世紀も後の民家が掘られていて、異なる時代の絵を一つの彫刻で表すことが何を伝えているのか空想が廻ります。

異なる時代が描かれる、興味深い彫刻

異なる時代が描かれる、興味深い彫刻

 

三人の子供のために休みなしに働く男性

ここの本堂には幾つもの美しい仏像が安置されていています。ところが撮影が厳しく禁止されていて、残念ながらお伝えすることができません。

現在は博物館、美しい仏像の数々

現在は博物館、美しい仏像の数々

 

入り口で監視をしている男性に「なぜこんなに厳しく撮影を禁止するのですが?」と聞いてみました。
男性は丁寧に「ここは由緒ある、神聖な場所です。エメラルド仏があったお寺ですよ。他のお寺とは違うのです」と、かつての栄華を教えてくれました。

3人の子供のために働くお父さん

3人の子供のために働くお父さん

更にこの男性に話を聞いてみました。

「昔の私は宗教に関心はありませんでした。ラオス北部の田舎でのんびりと育ったのです。ところが、仕事を求めて首都に出てきて、このお寺に勤めることになってから、仏教に目覚めたのです。今では毎日ここで手を合わせています。自分と家族が幸せになれるように、日々祈ってます。ここでの仕事は結構大変ですよ。朝8時から17時まで、そして休日は全くありません」

休みなしで働いているのですか?

「はい、でも田舎には仕事がなくて家族を養えません。私には3才、2才、1才、3人の子供がいるんです。子ども達のためを思えば休みなんかなくても大丈夫ですよ」

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お墓コラム
この記事を書いた人
齋藤 浩司

齋藤浩司(株式会社B-WAYグループ 代表取締役)
互助会から葬儀社を経て2001年同社創業。2002年に葬送支援NPO法人を創設。2010年には宗教法人を新規認証。CSR活動として、2007年お寺で余ったお供え物を困窮世帯へ届けるフードバンクを設立。2013年からは東南アジアの貧しい子ども達への生活・教育支援を開始し、現在はカンボジアのスラムで孤児院と幼稚園を運営。活動時に各国の聖地を訪れ、宗教家や現地の人々から文化を学んでいる。東京都新宿区出身。

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