奈良時代から平安時代の和歌を集めて作られた、小倉百人一首。
藤原定家が小倉山で編さんした百人一首は、いまでも広い世代に愛されています。
歌碑を見ながら参ることのできる墓所を集めてみました。
花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
小野小町
京都市左京区静市市原町補陀洛寺(小町寺)
深草の少将の供養塔のすぐ近くに小野小町の供養塔と、歌碑があります。
また、小町老衰像という、年老いた小町の像もあり、この像と歌碑を見ると絶世の美女も年をとって衰えていくという無常観をたっぷり味わうことができます。
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
蝉丸
福井県丹生郡越前町陶の谷67-8
各地を流浪していた蝉丸が病に倒れた地といわれています。
五輪塔のある墓所のすぐとなりに、歌碑が立っています。
五輪塔は三基あり、その真ん中のひとつが蝉丸のものと伝えられています。
難波潟 短き蘆の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
伊勢
大阪府高槻市奥天神町1-1-19 伊勢寺
宇多天皇の寵愛を一身に受けたという伊勢姫が晩年を過ごしたという場所。
伊勢姫を開基として伊勢寺ができました。伊勢の愛用していたと伝えられている鏡や硯なども寺宝として保管されています。
本堂の西側に、歌碑と伊勢の廟があります。
名にし負はば 逢坂山の さねかずら 人にしられで くるよしもがな
三条右大臣
京都市山科区勧修寺仁王町 宮道神社
三条右大臣藤原定方。
歌碑は宮道神社の入り口にあります。
その神社にヤマトタケルの命などと合祀されているのですが、すぐ近くにお墓もあります。
あしびきの やまどりの尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
柿本人麻呂
島根県益田市戸田町イ294
柿本人麻呂が亡くなった土地といわれている場所は全国にいくつかありますが、最も有力とされているのが、ここ島根県益田。
高津柿本神社に遺髪塚があり、歌碑だけでなく人麻呂の像も境内にあります。
万葉公園という施設の中に神社があり、広々とした敷地は四季を通してウォーキングにも最適。キャンプ場もあります。
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき
猿丸太夫
綴喜郡宇治田原町大字禅定寺小字粽谷44 猿丸神社
もともと猿丸大夫の墓があった場所に建てられた神社といわれています。
立派な歌碑を見ることができます。
また、猿丸神社は瘤(こぶ)取りの神様とされ、できものや癌の平癒を祈る人があとを絶ちません。
熊本県上益城郡山都町柳
石造りの歌碑ではありませんが、看板に歌が書かれています。
まさに「奥山に 紅葉ふみわけ」入っていくような山の中、大木の下にお墓があります。
瀬を早み 岩にせかるゝ 瀧川の われても末に あはんとぞ思ふ
崇徳院
香川県坂出市青海町2635番地 白峯寺
四国88か所霊場の81番札所。
崇徳院は讃岐流刑地で亡くなりました。その後怨霊となって都に災いをなしたといわれています。
白峯寺の中に「崇徳院 白峯の陵(みささぎ)」があり、歌碑もそこに立っています。
普段、何気なく通り過ぎてしまっている「歌碑」ですが、意外なところに知っている句の歌碑を見つけたりするとちょっとうれしくなりませんか?
ぜひあなたも身の回りの歌碑をさがしてみてください。