トーテムポールは「墓」だった?!

2018年7月17日

約2週間続いた冬季オリンピックが幕を閉じた。
日本は金メダルなしに終わった。残念だけど、世界のトップを獲るのは簡単なことではないと改めて思う。

そんな今回のバンクーバーオリンピックで、聖火の通り道にトーテムポールが立てられたという記事を読んだ。制作途中のその写真を見ると随分太く立派で、「直径70cm長さ10m」「樹齢400年の大木」とある。

日本で“トーテムポール”といえば、小学校の校庭にあるイメージ。電柱より細い木の柱に動物や鳥を彫って、色とりどりに塗装されたもの、だったけど・・・。

文化人類学事典によれば、トーテムポールは「北アメリカ北西沿岸インディアンの彫刻柱」。そして「部族によって多少様式は異なるが、ほとんどの場合その彫刻内容は神話や伝承に関わっている」とも。

その種類としては、家の内部にある「家柱」、家の入り口を作る「入口柱」、死者のために建てられる「墓柱」などが挙げられている。
トーテムポールに“お墓バージョン”があったとは!

かつてクイーン・シャーロット諸島(カナダ)に住んでいたインディアン、ハイダ族は優れた工芸技術を持ち、村々にはトーテムポールが林立していたという。その住民は、1770年代に訪れたヨーロッパ人がもたらした伝染病によって激減してしまう。

現在、倒れたり草木に覆われたトーテムポールを残した集落跡は、国立公園保護区に指定されている。
そんなハイダ族のトーテムポールの一部が、ブリティッシュ・コロンビア大学人類学博物館の屋外展示場に再現されている。

写真を見ると、いわゆる墓柱(Mortuary Pole)は2種類。
1本の柱の上部に横板、そして2本の柱に横板が付けられたもの。横板にも彫刻が施されていて、「2本の柱」の方は、その外形が、日本で言えば「鳥居」に似る。
これに遺骨を納めた箱が取り付けられたという。またハイダ族が墓柱を造るのは、首長などの死の場合だったようだ。

やがて朽ち果てて大地と一体になるまで、人々はそれを見上げつつ、彫刻が示す集団の起源や一族の物語を語り継いだのだろう。

この度オリンピックで構えた、“お墓”ではないトーテムポールは、先住民の子孫たちが手がけた。

カナダの600以上の先住民の部族は、その昔、ヨーロッパからの移民による開拓で、土地だけでなく、言葉や文化を奪われたという歴史を持つ。
すっかり生活様式は以前と変わっていても、「オリンピック」という世界から注目される舞台で、自分たちの出自を現す柱を自らの手で造り出すことには誇らしい想いがあったことと思う。

ところで、日本の小学校でよく見かけたトーテムポールは、昭和30年代中頃からしばらくの間、卒業制作として造られたものらしい。
なぜ「トーテムポール」だったかは謎だ。
動物の顔がデフォルメされた彫刻を、いかにも児童向きと考えたのか。その色鮮やかさが目を引いたからなのか。

どちらにしても、単にそんな無邪気な理由だとしたら―。もともとの文化を持つ方々には少々申し訳ない気持ちになる。

参考資料:『トーテムポール世界紀行』浅井晃著/ミリオン書房