グリーフ・カウンセラー鈴木剛子さんに聞く その2. ~子供に“死”を教える~

2018年7月17日

鈴木剛子さんは、14年前ご主人に先立たれた。その際、これまでの考え方では乗り越えられない心の状態を経験したことがきっかけで、カナダに留学。「死生学」、中でも「ビーリーブメント(喪失)」について学ばれた。04年に帰国後、グリーフに関わる書籍を翻訳*。06年にグリーフ・カウンセリング・センターを設立し、死別体験者のケアに携わっている。

そんな鈴木さんが昨年末、疑問に思ったこと。それは、届いた喪中ハガキのほとんどが「○○は永眠しました」と記されていたことだという。

―「死去しました」「亡くなりました」には違和感がないけれど、なぜ「長い眠り」という表現を使うのか、と。今までは「死去しました」も使われていた記憶がありますが、最近の傾向でしょうか。“死”の持つインパクトは強烈で、確かに、私たちはそれを本能的に緩和しようとする一面があります。もう一つは、社会が、文化が、死を無意識に否定している現象であるということ。何か根深いところからきていると思うんですね。

そして、現代の文化的な“死”の否定要因として、私たちの生活の中の変化を挙げる。

―いくつかの理由がありますが、その一つが「死ぬ場所が自宅から病院へ移行したこと」です。現在、病院での死が90%に達していますが、50年前は12%に過ぎませんでした。ということは、今や一般の人は身の回りで「人が衰え、死んで行く様子」、すなわち“死”を見なくなったわけです。その結果、死が身近に感じられず、ますます不可解で怖いもの、というイメージが出来てしまった。そんな死について考えたくもないという状況が高じて、否定につながっていると。また、科学や医療技術が進歩して大抵の病気が薬、手術、などで治療可能であるという信仰のようなものが定着しています。延命措置、臓器移植なども手伝って、何となく病気になっても助かると思っているのですね。したがって、万一死ぬことがあれば、それは医療技術の失敗、本来起きてはいけないことだと恥に思う。だから、あまり話したくない、否定したいのだと思います。

ただ、特に子供には、死を伝えるのに「永眠」を使って欲しくないとも。

―子供は文字通り取ってしまいます。5-6歳の子供に、「おじいちゃんは眠ったんだよ」と教えたら、本当にそう思う。そしてそれ以降、夜眠れなくなってしまう。「寝たらもう、おじいちゃんのように目が覚めない、どうしよう」って。幼い子が不安になるのも不思議はありません。子供は、死に対して何の偏見もないわけです。ですから、例えばペットが死んだ時にその子のわかる言葉で、あるいは絵本を使って「生き物は死ぬんだよ」っていうことをキチンと教えてあげる。まだ真っ白な子供の心は変な想像も、変な不安もなく理解するんです。

“永眠”って、ちょっと洗練されたイメージはあるけれど、確かに死を正面から表した言葉じゃない。

―大人にとっても、“死”を認識することが健全なグリーフの第一歩ですから、それをストレートに表現することも大切だと思うんですね。「死にました」「死去しました」と人に伝えることは、「生には死が一緒にある」という現実を、自分自身が受け止めていく助けにもなります。何も死を忌み嫌ったり、話すことに遠慮したり、不安がることはないと思いますが。

今、葬儀を式場で、というケースは増えている。自宅で行う煩わしさやスペースが取れない、といったことの他に、ご近所への迷惑を考えたり身内の死を周囲に知られたくない、という理由もみられるとか。“死”を言葉の上でも儀式においても隠してしまう傾向。葬儀や死は、楽しいものじゃない。だけど少なくても恥じ入るようなことではなく、日常の中にあってしかるべきということは心に留めておきたい。

*『〈大切なもの〉を失ったあなたに―喪失をのりこえるガイド』
ロバート・A・ニーメヤー著・鈴木剛子訳(春秋社)