池田家の絶家宣言

2018年7月17日

鳥取藩池田家の「絶家」とお墓

先月、82歳の女性が「絶家(ぜっけ)」を表明したという記事を目にしました。

絶家とは、家名を終わりにすること。それがなぜニュースになったかというと、この女性が32万石の鳥取藩を治めた、池田家の16代当主だからということに尽きるでしょう。

池田百合子さんの祖父は15代将軍、徳川慶喜の五男。父親の徳眞(のりざね)さんは次男でしたが、長男が若くして亡くなったっために当主になりました。
その父と母の間に生まれたのは女性3人。長女の百合子さんが父親の跡を継ぎますが、百合子さん夫婦には子どもがおらず、また養子を取らなかったため、自分の代で池田家を終わりにすることを決めたということです。
(『鳥取藩池田家を絶家 池田百合子さんに聞く 未来に尽くす一つの形 墓所保存に心砕く』2015/10/24 日本経済新聞)

旧大名家の跡取りとして、絶家を決めた百合子さん。その背中を押したのは、亡き父親の「過去にこだわらず未来に尽くしなさい」という言葉だったとか。

クリスチャンであり、神学や旧約聖書を研究するなど、藩主の家を継ぎながらも家や武家文化にはこだわらなかった父親の影響を受け、百合子さんは、海外に留学し、1963年には早稲田大学の国際部の創設に力を注いできたといいます。

その池田百合子さんが絶家を決める際、気に掛けたのが〝お墓〟のことでした。

鳥取市内にある池田家の墓所には初代から11代までの藩主、兄弟や側室が、また菩提寺には12代以降の故人が葬られているといいます。
百合子さんは、将来墓の改修のときなど、遺体の尊厳が損なわれないように、県や市でつくる墓所保存会と「被葬者の取り扱いに関わる覚書」を交わしたそうです。

跡を継ぐ人がいないため家が絶える「絶家」は、池田家のように特に社会に向けて表明しないまでも、今の世の中では決して珍しいことではありません。
そのためお墓の場所を移動したり、閉じる「改葬」を検討する人は増えています。

池田家のように歴史的名家であれば、行政などもお墓の行く末をサポートしてくれるかもしれませんが、一般的に「家が絶える」場合、お墓のことも自分たちでなんとか解決するしかありません。

「子どもがいない」「娘しかいない」「結婚していない」といった理由から、自分の代でお墓が継承できない状況というのは、どの家でも起こりうることとなりました。
家族の在り方の変化は、お墓の変容にも結びついています。