ゼロから、お墓の意味を考える

2018年7月17日

ちょっと前の9月3日。フジテレビの朝の番組『ノンストップ!』で、「新たな終活『ゼロ死』そのためにすべきこと」というタイトルの特集を放送していました。

〈ゼロ死〉という言葉を番組では、お葬式とお墓2つのことから定義していました。1つは「葬式をあげない」=〈ゼロ葬式〉、2つめは「遺骨を残さない、墓を持たない」=〈ゼロ墓〉となっていました。
〈ゼロ葬式〉の一例としては、お葬式を行わず火葬のみの、直葬があげられていました。

そして〈ゼロ墓〉の方は海洋散骨や、火葬場が遺骨を引取る事例が紹介されていました。後者は、名古屋のある火葬場で、遺骨を粉砕しその一部を「霊灰碑」という合葬墓に納骨するというもの。

つまり番組の言う〈ゼロ墓〉とは、家族や個人のお墓をつくらないということになりそうです。

〈ゼロ死〉〈ゼロ葬式〉〈ゼロ墓〉。聞き慣れない言葉ですが、おそらく『葬式は、要らない』の著者で、宗教学者の島田裕巳氏が提言した0葬からきているネーミングかと思われます。
昨年、氏が出版した『0(ゼロ)葬―あっさり死ぬ』によれば、〈0葬〉とは、火葬した遺骨を引き取らないで、その時点で終わりにすることだといいます。

通常、火葬された遺骨は「骨上げ」といって、家族や近親者の手によって拾骨され、骨壺に収められます。持ち帰られた骨壺は手元に置いたり、お墓に納めたりとなりますが、島田氏のいう〈0葬〉は直葬を前提とし、かつ焼骨の処分を火葬場に任せてしまうということ。
つまり遺骨がないので散骨も行わず、それを納めるためのお墓をつくらないという究極の選択肢を提示しているわけです。

「0葬に移行することで、私たちは墓の重荷から完全に解放される。墓を作る必要も墓を守っていく必要もなくなるからだ」(前述書より抜粋)。こうした提案をする理由の一つに、遺された人に負担をかけないことをあげています。

ところで以前、散骨の取材をしたときのこと。希望者に理由を聞いてみると、最初は「海が好きだから、死んだら撒いてもらいたい」としていても、さらに話を聞くと、「子どもがいるけど、お墓のことで迷惑をかけたくない」と答えた人が何人かいました。
表面的には「自然に還る葬法を選んだ」ということでありながら、家族や子どもに負担をかけたくないという心理が働いているということになります。

一方、当の遺族はどう思うのか―。
お彼岸、お盆、命日。日本人は折りをみてお墓参りに出掛ける、お参り好き民族です。「あなたはお墓参りに行っていますか?」というアンケートを行ってみると、例外なく、年1回以上お墓参りをする人が6割以上という結果が出ています。

そういう習慣を持ちながら、故人の希望ですべての遺骨を散骨してしまったとき、「手を合わせる場所がない」と戸惑う人もいます。
〈お墓〉を遺される人の視点から考えますと、ただ骨がそこにあるというだけではなく、故人に心を向ける場所になるからではないでしょうか。

〈ゼロ死〉を取り上げた『ノンストップ!』の番組放送中に、視聴者から寄せられたダイレクトの声、メールがテロップで流れていました。

○ゼロ死は現代らしい考え方って感じがする
○お墓をまもってくれる子どもがいなかったり、遠くにいたりすると、こういう選択も出てくるのかな…
○お墓を持たないってことは、お墓参りもしなくていいってこと?なんか寂しいな
○骨を片づけた後に、やっぱりお墓を造っておけば良かったなって後悔するケースもあるような気がする

故人をどのように弔うかは、人に判断してもらうことではありません。その方法を決めるときに、「もしそれがなかったら」と考えてみる。「お墓がなかったら」「遺骨を引き取らなかったら」と、我が身に引き寄せて思案してみることで、自分にとってのお墓の意味や、理想の供養というものがみえてくるのかもしれません。