どうなる?これからの天皇陵

世界文化遺産登録のため、大阪の百舌鳥(もず)・古市古墳群82基を航空レーザーで測量した結果が、9月18日に大阪府などから発表されました。
それによると、応神天皇陵に指定されている「誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳」では、被葬者の血縁者などが埋葬された可能性がある場所が確認されたそうです。

ひとつの陵に2人以上が埋葬される―。

長らく天皇と皇后、別々に造られていた墓(=陵)ですが、これから一緒になることがあるのかもしれません。

今年4月の宮内庁定例記者会見で、天皇、皇后両陛下がご自身の葬儀や陵の簡素化を望まれていることが発表されました。
葬儀については「国民生活への影響が少ないものに」、陵については「規模を含めてできるだけ簡素に」とお考えで、さらに同じ墓に入る合葬の意向をお持ちだといいます。

ちなみに昭和天皇の武蔵野陵総工費は約26億円、香淳皇后の武蔵野東陵は約18億円がかかっているといいます。

ところで、これまでの歴史を振り返ってみると、自らの葬式や墓を従来の慣例に習うのではなく、規模の縮小を宣言した天皇は皆無ではありません。

例えば、奈良時代、平安京遷都を実施した元明天皇(661-721年)は、自分の墓は自然の地形を利用して、碑と木だけをその標とすること―現在の樹木葬の元祖ともいえるスタイルを命じました。
先にあげた誉田御廟山古墳が全長425m、よく知られる仁徳天皇陵486mなど、大型の〝古代古墳時代〟はフェードアウトしていきます。

さらに平安時代になると、「死後、遺骨は山中に撒け」と散骨を命じた淳和天皇があらわれます。その兄の嵯峨天皇は、「自分の遺体は山に埋めて墓標もつくるな。死後1年以上たったら供養もするな」という遺言をのこしています。
兄弟揃って自身の墓を造ることを拒んだわけです。

実際その指示通りに葬られたため、二人の天皇に墓はありませんでした。現在、宮内庁で指定されているそれぞれの陵は、後からあらためて場所を特定して造られたものです。

このような小規模化の流れは、当時あこがれだった中国の「薄葬思想(葬送のことで民に負担をかけないという儒教的な考え方)」や仏教の影響がありました。

平安時代以降は仏教の浸透とともに、天皇の墓はさらに小型化する様相をみせます。
〝天皇陵〟というと、どうしても前方後円墳などのイメージからつい大型のものを想像してしまいますが、天皇家の祭祀を仏式で行っていた江戸時代、陵は寺院に設けられ、形状は今日でも見られる一般的な仏式の石塔だったりします。

その後神道的な思想を重視する政府によって、幕末期(1866年)に亡くなった孝明天皇は再び古墳型の陵墓となり、その流れは昭和天皇まで続いています。

そして平成24年。現天皇のご希望にそって、宮内庁はその葬送のあり方を検討するということです。

天皇のお墓はそれぞれのお考えや政策、時代背景によって大きくなったり小さくなったりしてきました。
「平成」はその新たな分岐点となるでしょうか。

どのくらいの規模になるのか、合葬スタイルになるかなど、天皇陵の今後が気になるところです。

参考資料

  •     『歴史のなかの天皇陵』高木博志・山田邦和編/思文閣出版

どうなる?これからの天皇陵()

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柿ノ木坂ケイ プロフィール

プロフィール

1964年生まれ。東京都立大学人文学部社会学科社会人類学専攻卒。タウン情報誌編集部を経てフリーライター。 3年前義母をなくし、お墓がない現実に直面。購入まで苦労したことがきっかけとなり、意外と知らなかったお墓について調べ、著書『間違いだらけのお墓選び』をまとめる。
現在、「明るくわかりやすくお墓を語る」をモットーに、消費者の立場から見た“お墓”についての講演や関連記事の執筆などで活動中。

【 著書 】

『間違いだらけのお墓選び-買ってわかったお墓事情あれこれ』
2005.11刊/情報センター出版局(1400円+税)

〔第1部:お墓購入ドタバタ体験記〕

年齢も趣味も違う家族が一つのものを買うのは大変なこと。
ましてやそれが“お墓”であればモメるのは当然?!著者と家族の笑える(?)お墓探しの日々を綴る。

〔第2部:お墓に関する49の基礎知識〕

誰もがいつかはお世話なるものなのに、よくわからないもの、それがお墓。その購入の実体験をもとに「これだけは知っておきたい」という知識をまとめた。イラストやフローチャート入りで“初心者”にも楽しくわかりやすく、お墓選びのツボを伝える。