貝塚は「お墓」だった?!

このところ週に1度は貝が食卓にのぼる。アサリ、シジミ、ハマグリ。
春は貝が美味しい季節だ。

先日、アサリの貝殻をコンポスト(生ゴミをたい肥にする処理器)に捨てようとする夫に、「それ分解されないんじゃない?」と声を掛けると、「大丈夫。ここは貝塚になるのサ」と、ゆるーい返事。
この会話をもし縄文時代の人が耳にしたら、ブーイングが起きるかもしれない。

貝塚はただの「ゴミ捨て場」ではなく、縄文人の精神性を表わした場所と捉える人がいる。

「・・・縄文人はそのように、人間ばかりか、すべてのものの霊は死ねば必ず天の一角にあるあの世へ行く。そして、あの世でしばらくの生活を行って、この世へ帰ってくると考えるのです。日本の至る所にある貝塚、その貝塚というものは文字通り、貝の霊を葬る墓場である。」
  『縄文人の世界』梅原 猛

丁寧に埋葬された貝は、あの世でそのことを伝える。すると貝がこの世に人間の食料として舞い戻ってきてくれる。
貝ばかりでなく、地上のもの全ては「無限の循環を繰り返す」。縄文人はそのように考えていたと、哲学者の梅原猛は解釈している。

わが家では、どんな小さなシジミでも一つ残らず食べ尽くす。その身を大事に頂いている。―ここまでは仮に縄文人と同じだとしても、そこから先の行為には開きが出てくる。
ウチでは食べるところのない貝殻を「捨てる」けれど、あちらはそんな小さな生き物の再生を願って、埋葬するのだから。

梅原説によれば、「貝塚」はお墓であり、生命を再来させるあの世とのチャンネルなのだ。

縄文時代と言えば、狩猟採集文化。
動物や鳥、魚・貝を捕り、木の実や植物、多種多様なものを食べていたことがわかっている。

貝塚からは、貝だけではなく、同じ場所から動物の骨、そして人の骨もが発掘されている。
食べ終えた食べ物と、死んだ人間の骨を一緒に埋めていたのだ。
今の時代で言えば、例えばコンポストに自分たちの遺骨を埋めるということ。法律的な制約がなかったとしても、そんな発想をする人は限られるだろうし、多くの人は抵抗を感じるだろう。

一方、この時代、人間は他の生き物と比べて別格ではなかった。食料である貝も、それを口にする人も、同じ自然界の存在として等しく考えられていたのだ。

その命を糧として受け取ることに感謝し、それを食することに真摯に向き合う。
この日本で、およそ1万2千年前から約1万年もの間、現代とは異なる世界観を持ち、生活していた人々に想いを馳せる。

貝塚は「お墓」だった?!()

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柿ノ木坂ケイ プロフィール

プロフィール

1964年生まれ。東京都立大学人文学部社会学科社会人類学専攻卒。タウン情報誌編集部を経てフリーライター。 3年前義母をなくし、お墓がない現実に直面。購入まで苦労したことがきっかけとなり、意外と知らなかったお墓について調べ、著書『間違いだらけのお墓選び』をまとめる。
現在、「明るくわかりやすくお墓を語る」をモットーに、消費者の立場から見た“お墓”についての講演や関連記事の執筆などで活動中。

【 著書 】

『間違いだらけのお墓選び-買ってわかったお墓事情あれこれ』
2005.11刊/情報センター出版局(1400円+税)

〔第1部:お墓購入ドタバタ体験記〕

年齢も趣味も違う家族が一つのものを買うのは大変なこと。
ましてやそれが“お墓”であればモメるのは当然?!著者と家族の笑える(?)お墓探しの日々を綴る。

〔第2部:お墓に関する49の基礎知識〕

誰もがいつかはお世話なるものなのに、よくわからないもの、それがお墓。その購入の実体験をもとに「これだけは知っておきたい」という知識をまとめた。イラストやフローチャート入りで“初心者”にも楽しくわかりやすく、お墓選びのツボを伝える。