| ◆ column 2. |
「故人の思い出だけを胸に」って難しい??
―手元供養グッズから考える― |
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2006.11.01
“手元供養”という言葉。一度くらいは見聞きした、という人も多いかと思う。
遺骨の一部を置物の中に納めたり、加工してプレートやアクセサリーにする。
これを自宅に置いたり身に付けたりして、故人を偲ぶというもの。
“手元供養”がクローズアップされるようになったのは昨年あたりから。
2005年6月、商品を提供する7つの業者が「手元供養協会」を立ち上げ、各地で展示会を開いた。
そして住宅事情や宗教観の変化が生んだ供養のスタイルとして、各種マスコミに取り上げられるように。
現在では商品を扱う店や専門店もできている。
ある日、その手元供養を取材した新聞記事を見ていた。
粉末状にした焼骨に、金属化合物を合成したセラミックプレートを購入したという、男性の例。
棚の上に、故人である妻の名前が刻まれた、名刺程度の大きさと思われるそのプレート。
横には、顔写真、ろうそく立て。周りには故人ゆかりの小物類が並べられている。
そして女性が好きだったというコーヒーがカップで供えられていた。
そんな様子の写真を見ていて、「これって仏壇なんだナ」と思った。
線香をあげなくても、毎朝夕に故人の好物を供え、故人に家族のいろんな出来事を報告したり、心配事を相談してみたり。
自宅の中でのそんな場所といえば“仏壇”だ。
実際、小さいものの、木製で両開きとなる“仏壇”タイプに、遺灰から造った人工石を納める、という手元供養の商品が提案されている。
ただ仏壇は宗派ごとの本尊が祀られていたりするから、プレートなどの手元供養グッズが故人そのものを表している、という意味では仏壇というより位牌に近いかも。
故人の名前は刻んだとしても、戒名は入れない。そういう“位牌”ではあるけれど。
まが玉や数珠、お地蔵さんの形やピラミッド型だったり。手元供養グッズは「宗教性」といってもその程度で、特定の宗教宗派を強く打ち出したものではない。
無宗教を自覚する人が増えているなか、“手元供養”はこれから徐々に浸透していくのかもしれない。
ところで、そんな、宗教性をあまり感じさせないところが手元供養と一般的なお墓の違いとして言われること。
だけど、よくよく考えてみると「“骨”を故人の存在として想いを寄せる」というあたりは共通しているんじゃないかとも思う。
手元供養は形状にバリエーションがあり、より身近でコンパクト。宗教や家に縛られることのない「新しい供養」のスタイルとされる。
その一方、粉末や特殊加工と変形させることはあっても、お墓と同じく“骨”から離れられたわけではない。
残された人が、遺骨から気持ちを切り離すのは難しいだろうか?
わが身に置き換えてみると、もし夫が亡くなってその骨の一部をアクセサリーに、ということを想像はできる。
けれど、お墓にも手元供養グッズなどにもまったく骨を残さないのは、今のところチョット考えにくい。
さらに、遺骨を必要としない究極のお墓「サイバー葬」の場合。
ウェブ上のお墓だから経済的で“お参り”は便利だし、故人のデータも残せる。それはわかっていても、自分の親が死んだとして、骨を一切残さずサイバー葬だけ、とするのは現在42歳のオバサンには抵抗が残るかも。
人が死ねば納骨して拝む。そんなことを繰り返してきた何代かの祖先のDNAがそう思わせるのか、「想いを寄せる」物理的な場所やモノが必要なのかもしれない。
遺骨を残すことなく、「故人の思い出を胸に生きる」なんて風になかなかカッコ良くいかない。
人間の想いっていうのは、結構割り切れないものだって、つくづく思ったりする。
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